クソ田舎礼賛時代

*@gtmenma さんのリレー企画の文章です

 

どうやらぼくは、故郷と呼べる風景を持っていることに誇りを持っていたらしい、と初めて自覚したのは、伊藤計劃の文章を読んでいた時だった。

 

https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20041120/p2

 

これのこの部分

 

「トトロ」はあまり好きではない。というか嫌いだ。ああいう風景は小岩で生まれて江戸川を眺めて育ち、千葉北西部のスプロール、東京に通う会社人が寝るために買った新興住宅地で育った自分には、憧れようがないあらかじめ喪われた風景だからだ。あの映画に出てくる背景の、物語の、どこにも自分は惹かれようがないし、それに惹かれることがあたかも「正しい」と言われているような映画のたたずまいには正直「貴様に憧れの対象を指し示される謂れはない」と文句のひとつも言いたくなる。

 

ぼくも目黒川を眺めて育ったはずなのだけど、生まれは茨城のド田舎だった。週末にはホーマック(ホームセンター)に足繁く通い、ホーマック横の親戚が開いてる、こぢんまりとした店でおこさまランチを頼む生活を、6歳の頃まではしていた。主な遊びは田んぼの堀で、ふな釣りをすることだったし、よくドブみたいなにおいのする霞ヶ浦の横の原っぱで、でかい虫を採っていた。

 

明らかに、伊藤計劃のそれとぼくの持っている風景は別だった。ぼくが東京に、小一の頃引っ越してからは、伊藤計劃のようなうまれで育った人間ばかりと触れ合っていたから、自分が原風景と呼べるかもしれない、ドブみたいなにおいのする霞ヶ浦を持っていることは、それなりの特別感があった、のだと思う。確か中学三年生ぐらいまでは、茨城に帰省するたびに、喉の底がきゅーっとなるような、ふんわりとした郷愁の念に駆られていたことをよく覚えている。

 

その頃は、帰省自体が楽しかったし、さびれた誰もこない駄菓子屋で、ぼくも大きくなったねぇ〜と褒められるだけで嬉しかった。そこには、おそらく、トトロで演出されていた田舎の風景があった。ぼくはその雰囲気を、無駄に横に広い祖父の屋敷に、ごろごろできる掘りごたつに、えんがわに、中庭の石に、きれいに手入れされた松に、裏山で取れるのびるに感じていた。

 

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ぼくの田舎は、一族の中でも、本家と分家たちで、家が複数あるところが多かったから、一家を指し示すのには屋号が用いられた。ぼくの家はハス屋と呼ばれた。れんこん栽培してるおうち、って意味だ。

他にも、酒屋、とか米屋、とか、いろいろあった。ぼくはハス屋のとこの孫と称された。

一族の中でやらかした奴が出るたびに、そいつは屋号付きで噂された。ちょうど、「酒屋のどら息子がさ〜」という具合に。

なにをするにも、どこにいくにも、屋号とうわさはついて回る。所属はほぼ自分と同じ意味を持っていて、自分の背中に貼り付けられた屋号を他人に見せて回って、あの田舎の人たちは生きている。

 

今ならツッコめる。典型的な、血縁に支配されたクソ田舎じゃねえか!今なら、実家に戻るたびに苦々しい顔をしていた叔父の、ある日突然バツイチの子持ちと結婚して自分の最低限の荷物だけ持って実家を出て行った叔父の気持ちも分かるかもしれない。

思えば、祖父の広い屋敷の至るところに、クソ田舎の影はあった。掘りごたつの部屋に染み付いたタバコのにおい、上座の存在する、座る位置の決まった食卓、庭師にせっせとお茶を出して縁側でもてなしたあとため息をつく祖母、家に帰りたがらないぼくの叔父、空き家になった叔父の部屋が異常に綺麗だったこと、ほとんどぼくに話しかけてこようとしない、屋敷のお手伝いさん。どれをとっても、クソ田舎礼賛時代のぼくは違和感を感じなかったが、よくよく見てみればクソ田舎だ。ぼくが生きていくことと、みんなで生きていくことがセットになっていて、みんな自他の境界はぼくの感覚よりずっとぼんやりで、だからこその人を真綿で締め上げるような感覚をみんな味わいながら、全員でそれを無視する。だってみんな"身内"だから。

 

クソ田舎要素全てに、強い、名称をつけがたいイデオロギーを感じる。でも、イデオロギーがその効果をいちばん発揮するのは、イデオロギーがあることすら意識されない時だと実感する。それは、クソ田舎礼賛時代のぼくがまさにそうだったから。ふんわりとした郷愁を抱いていたぼくは、あのバカ広い屋敷のどこにいても、安心感を感じていた。実際には、子供のぼくにですら、身動きを重くする、簡単には吐き出せない閉塞感はつきまとっていたはずなのにもかかわらずである。

 

クソ田舎をクソ田舎だと認識し、クソ田舎に蔓延しているイデオロギーに恐れおののくまでには、都会に出てって遊んでると思われたくない、と号泣する母親をぼんやり眺めたり、その母親が家の皿を半分割って血だらけになったり、祖父からのDVのストレスで胃潰瘍になった祖母のお見舞いに行って、がりがりの腕を見つめたり、横柄な態度が目立ってても、絶対に田んぼの管理だけは怠らなかった、地主らしい地主の祖父を恐れたり、それなりの手順を必要とした。だからこそ、クソ田舎に対して怒りに近いどろどろとしたものを抱く今のぼくも、きっとなにかのイデオロギーに塗れてるんだろうな、とたまに思う。少なくとも、クソ田舎をクソ田舎だと思って、クソァ!って言ってなきゃすまないようには、強迫的な観念が働いている。自分が塗れているイデオロギーを意識できないことに、たまにどうしようもない恐怖を覚えるけど、おそらくそれは仕方のないことだ。今のぼくならバカにするような、ふんわりとした郷愁と同じ類いの感情は、それが特殊なものだと気がつきすらしないまま、一生抱えていくのだと思う。